二つの能力は別物である

絶対音感は、比較する音がない状態で鳴った音を聞き、その高さを言い当てる能力を指す。相対音感は、2 つの音を聞いてその隔たりを捉える能力である。前者は音に貼られた名札を読む力に、後者は距離を測る力に近い。この違いは決定的で、絶対音感を持つ人が必ず隔たりの判断に優れているわけではなく、逆に絶対音感がなくても隔たりを精密に捉える人は珍しくない。二つを「音感」という一語でまとめると、どちらの話をしているのか分からなくなる。音楽の議論で起きる混乱は、この区別が省かれていることが一因になっている。

獲得のしやすさに差がある

Baharloo ら (1998) の音楽家への調査や Deutsch ら (2006) の音楽院の学生の研究で、絶対音感と幼少期に音楽の訓練を始めた経験との関連が報告されており、成人になってからの獲得は難しいとされる。Van Hedger ら (2019) の研究では、8 週間の訓練で一部の成人が絶対音感を持つ人と同じ水準の成績に達した一方、多くの参加者の改善は小さかったと報告されている。関連する要因として、使用言語が声調言語かどうかや遺伝的な素因も検討されてきたが、どの要因がどれだけ寄与するかについて決着はついていない。一方の相対音感は事情が異なる。2 音の隔たりを捉える力は成人からの訓練でも改善するとされ、この差が実務上の意味を持つ。

音楽の現場で使われているのは相対音感

合奏では、自分の音を他の奏者に合わせ続ける必要がある。聞いた旋律を楽器で再現するときも、音の名前を経由せず隔たりをたどる方が速い。歌の伴奏を別の調で弾く移調も、和音の構成を隔たりの組み合わせとして理解していれば対応できる。これらはすべて相対音感の働きである。音楽理論が音度や和音記号といった相対的な記述を土台に組み立てられているのも、この能力が実務の中心にあることの反映といえる。絶対音感は便利な補助になりうるが、音楽を成り立たせている土台ではない。

絶対音感が不便に働く場面

絶対音感は常に有利とは限らない。Miyazaki (2004) の実験では、音や楽譜で示された旋律と移調した旋律を比べる課題で、絶対音感を持つ人の成績は持たない人より低かったと報告されている。実験とは別に、移調楽器を扱う奏者や、基準となる音の高さが異なる古楽の演奏では、楽譜の音名と実際に鳴る音の高さのずれによる違和感が語られることがある。また合奏で全体がわずかに低く沈んでいるとき、自分の記憶する高さに固執すると全体から外れることもある。絶対音感は音に名前を貼る能力であって、その名前が状況に合っているかどうかは別問題である。この性質を理解しておくと、能力の有無を過度に価値づけずに済む。

「絶対音感がないと音楽ができない」は成り立たない

絶対音感を音楽的才能の証と見る通俗的な理解は根強い。しかし演奏に必要な能力は多岐にわたる。隔たりを捉える耳、拍を保つ感覚、身体の細かな制御、楽曲の構造を把握する理解力、他の奏者と呼吸を合わせる注意の配分などが組み合わさって演奏は成立する。絶対音感は、そうした要素の一つというより、あれば使える補助的な性質に近い。Baharloo ら (1998) の音楽家 600 人超への調査では、絶対音感があると答えた人は、4 歳以下で訓練を始めた人で 40%、9 歳以上で始めた人では 3% だったと報告されている。いずれにしても、才能の有無を絶対音感で判定しようとする発想そのものが、音楽という営みの幅と噛み合っていない。

伸ばせる部分に目を向ける

相対音感が訓練に応える能力であることは、実践上の希望を意味する。2 音を聞き比べる課題を繰り返すと、注意の向け方が変わり、隔たりの判断は細かくなる。ただしこの改善を能力そのものの向上と読むのは慎重であるべきで、認知的な訓練の効果が訓練した課題を超えて波及するかは長く議論が続いている。得点の上昇は、まずは課題への習熟の証拠として受け取るのが妥当である。MyRank の音感テストが測っているのも相対的な判断で、2 音の隔たりを少しずつ細かくしていき、聞き分けられた最小の差を記録する。他人との比較ではなく、自分の記録がどう動くかを見る道具として使うのが実用的である。